マクロビオティックの身体論(1)

最近、「日本人の身体観」についてつらつらと考えています。
もともと江戸時代までの日本人には、英語でいうところの「Body」である「身体(からだ)」という概念はなかったそうです。

「身体」は「殻(から)」に由来し、魂の抜けた死体を意味していたそうです。

『「身」の構造―身体論を超えて』(講談社学術文庫)を著した哲学者、市川浩は、日本人の身体観として「身体」は、単に、皮膚の内側に閉じ込められた「物質」としての「肉(み)」ではなく、皮膚の外まで拡がり、世界の事物と交わるものであるとし、「物心二元論」に基づく考え方である「身体」の代わりに「身(み)」という言葉を使いました。

マクロビオティックの身体観もまさに、この東洋的な哲学の流れである「身(み)の概念」に根ざしています。

 

■マクロビオティックのモノの見方

では、ここであらためて「マクロビオティックのモノの見方」をおさらいします。

MacrobioticBody&Mind1

まずここに何でもいいのですが、一つの「モノ」があるとします。
このモノを見る時、マクロビオティックでは「魔法のメガネをかけて見る」というのですが、陰陽の視点から見ていくことになります。

MacrobioticBody&Mind2

上図が「マクロビオティックの物体認識モデル」です。
マクロビオティックでは、どんなモノ(物体)を見る時でも、そこに働いている「陽」という求心力と「陰」という遠心力の働きを見ます。

このモデルで見るとモノ(物体)は、周囲の空間から「陽」という圧縮・凝集する求心力と周囲の空間へ膨張・拡散する遠心力のバランスで成り立っていることがわかるます。

つまり目に見えるか「形」をつくっている「陽のエネルギー」と、目には見えないけれど、その「形」の土台となっている空間である「陰のエネルギー」は不可分というか一体として認識するわけです。

マクロビオティックの原理である「身土不二」や「一物全体」もこのモノの見方が基本として成り立っています。

特に「身土不二」は、身体と環境(空間)は二つに分けられないという意味になりますが、マクロビオティックの身体観を端的に表している言葉となります。

 

■陰陽でみる「西洋的な身体観」と「東洋的な身体観」

この「モノ(物体)」の見方は、もちろん「身体」の見方にも反映されます。

西洋的なモノの考え方は、陽である求心力が優位に働きます。逆に東洋的なモノの考え方は、陰である遠心力が優位になります。

ですから西洋人は、空間から身体を切り離し物質としての「身体」を対象にした科学や医学が発達しますし、身体の個性や独自性が重んじられる個の文化を形成します。

逆に東洋人は、「身体」よりも、それを成り立たせている空間を氣や精神として捉え、身体と空間を分離せずにそのバランスをとる科学や医学を発達させました。

とくに陰性文明の極にあった日本人は、陽である身体よりも、陰である空間をより意識していました。ですから、空間である環境を整えることで身体の健康が成り立つという「養生法」が発展し、身体に直接的に働きかける科学や医学はあまり発展しませんでした。

下記図は、日本人の身体観を端的に表す「温泉混浴モデル」です。

MacrobioticBody&Mind3

明治に入って廃止された日本独自の文化や慣習には、日本人の本質を考える上でとても大切なものがあります。

明治5年に廃止された「太陰太陽暦」と「陰陽道」。
そして、たびたび出されたのが混浴禁止令です。江戸時代では当たり前だった温泉や銭湯での混浴は、果たして西洋人が考えた野蛮な習慣だったのでしょうか?

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