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読書の秋~人類の進化へ思いを馳せる

秋になって来たのか、ひょんなきっかけから「人類の進化」について調べ始めたら、読書三昧の毎日になってしまった。

目的は「人類進化と食物の関係」を古人類学や生物学、神話学、そして陰陽という視点から洗いなおしているわけだけど、まったくキリがない(笑)

定説では、人類進化の起点は、二足歩行が前章となり、熱帯雨林からサバンナへの生活圏移動で主流になった狩猟による「肉食」が、人類に多大なるカロリーの増大を可能にし、脳の拡大を誘発したというとても「男のロマン的」な説。

これは、いま流行りの「糖質制限」などの論拠にもなっています。

一方これから盛り上がって来そうなのが、火の利用、つまり「料理」による植物性デンプンの糊化で大量のブドウ糖を常時、脳に送ることができるようになって、脳の拡大を可能にしたという、やっぱり「かあちゃんにはかなわない的」な説。

この論拠は、林俊郎という学者さんが代謝生理学のアプローチで「火の人類進化論」として提唱していますが、マクロビオティックの分野にはとても示唆のある学説です。

ともあれ、概ね人類の脳の拡張は、食べ物の影響が大きいことは自明の理になりつつあるようです。

そこで「俺の狩りで毎日肉食わせてやる」という男のロマン的な「焼き肉論」と「あんた今日も獲物ないの?芋焼いてあるから食べなさい」という女の現実的な「焼き芋論」という進化論の戦いが、現代の人類の食生論争にももちろん影響があるようですね(笑)

肉食中心の糖質制限、加熱でんぷん中心のマクロビオティック、そして第三の立場である「そもそも脳がでかくなったから自然破壊が起こるのよ」ということで、自然と調和した人類に進化する前のチンパンジーの生食に見習おうというローフード。

もちろん私としては、加熱でんぷんの進化論を中心に展開したいのですが、それはまた後日まとめようと思います!

自分で自分の答えを見つけるためのサポートシステム

昨日は池尻大橋のマクロビオティックレストラン「キュイジーヌ・エ・サンテ・リマ」にて、へるしー君の会。

いつものようにマクロビオティックの印象をリサーチしてきました。

「日本食に近い感じ」
「哲学的な感じ」
「ベジタリアンは砂糖は気にしないけど、マクロビオティックはとらない」

などなど、みなさんご意見ありがとうございました。

そんな中で、「砂糖以外の甘味料、はちみつ、甜菜糖、メイプルシロップなどはいいのでしょうか?」という質問がありました。

これは、この業界では本当によくされる質問で、誤解されているところですが、まずマクロビオティックは「食戒律」ではありません。

なので、「何を食べていいとか食べてはいけない」という決まりがあるわけではありません。

自分の体質や体調に対して、「それは陰性なのか陽性なのか」を考えて、自分にとって甘味料が陰性すぎるのであれば、砂糖だろうがはちみつ、甜菜糖、メイプルシロップでも穀物の甘味でない甘味料は、ほぼ陰性ですので、とるべきではないだろうとなります。

砂糖でも精製されているかによってや、はちみつ、甜菜糖、メイプルシロップもそれぞれ陰陽が違います。

人によっては、時々砂糖をとっても大丈夫な人もいれば、甜菜糖やメイプルシロップでも体調を崩す人もいます。

この「人それぞれ」という捉え方が厄介なのです。

現代教育に慣れている人は、「それぞれの人にそれぞれの答えがある」ということに「まやかし感」と「しちめんどくさ感」を覚えます。

なぜなら自分で答えを見つけくてはならなくなるからです(笑)

マクロビオティックは、まさにその「自分で自分の答えを見つける」ためのサポートシステムなのです。

と、まぁそんなことくだくだ言ったところで、やっぱり「めんどくさっ」、いやむしろ「めんどくさっ」って思われますよね(笑)

全体を見渡す視点 ~棚田の鳥瞰(ちょうかん)動画

私がお米づくりプロジェクトでお世話になっている西伊豆松崎町「石部棚田」の鳥瞰(ちょうかん)動画が公開されています。

これを見ると「森と棚田と集落と海」という日本の伝統的な国土利用の真髄が分かります。

日本は言わずと知れた島国、国土の73%が山地が占めていて、日本の川は大陸の川に比すれば「滝」と称されることもあります。

人がその土地に生きていくために一番大切なのが「水」です。世界の文明が大河のほとりで発展して行くのも「水」の利便性があるからです。

日本はそのままでは、山地から急激に海に流れ落ちる「水」を利用することはできません。

だからこそ中山間地に棚田や田んぼを作ることで、「水」を滞留させ、その周辺にコツコツと文明を発展させてきました。

山→田んぼ→集落→海→雨→山→田んぼ、という循環の中で還元されるエネルギー、つまり「お米と山のものと海のもの」を国土から得たからこそ、この島国で日本人は平和に暮らしてこれたのです。

だから「棚田もういいじゃん」とか「お米もういいじゃん」とか言うことは「日本もういいじゃん」と言っていることになるのです(笑)

鳥瞰とは、空間(陰)からの視点です。
いま私たちには全体を見渡す視点が欠けています。

誰もが自分の肉体(陽)からの視点だけになりつつあるこの時代に、ドローンの役目は、天からの視点に気付かさせてくれることなのかもしれません。

果たして、マクロビオティックは難しいのか?

昨日は池尻大橋のマクロビオティックレストラン「キュイジーヌ・エ・サンテ・リマ」で行われたへるしー君のベジ会に参加。

なぜ私がこの会に毎回参加するのかというと、ベジー系の人たちの「マクロビオティックの印象」をリサーチするためなのです。

「勉強しないとできなさそう。」
「ちょっと敷居が高そう。」
「陰陽とか出てきて難しそう。」

いつもだいだい想像した通りの答えをいただきます。

果たして、マクロビオティックは難しいのか?
これはある意味、私にとって長年のテーマです。

私は15年、マクロビオティックをやれる理由は、ずばり「シンプルで簡単だから」。

もちろん写真に出てくるような「うなぎもどき」(土用に合わせてメインで出してくれた料理です)のような複雑な料理は、私にはできませんし、小洒落たスィーツも作れません。

せいぜい玄米か穀物を中心とした簡単な野菜料理をベースにして、あとは自分の体調や家族の体調に合わせて、陰陽的な直感でちょっとアレンジ(動物性を加えることもある)していくだけですが、これがシンプルで簡単だからこそ続けられるのです。

むしろマクロビオティックに出会う前は、よほど複雑で難しい世界の中で生きていたような気がします。

もし今私に以前の生活に戻れますかと問われれば

「勉強しないとできなさそう。」
「ちょっと敷居が高そう。」
「陰陽とかないので難しそう。」

と答えるかもしれません(笑)

決して答えを教えない教育

昨日は、池尻大橋のマクロビオティックレストラン「キュイジーヌ・エ・サンテ・リマ」で、学習院女子大学で「フード・コンシャスネス論」を世界に展開する品川明教授と打ち合わせ。

「フード・コンシャスネス」とは、人類共通の営みである「食」を通じて、五感や考える力、そして生きる力を高めるさまざまなワークを提案している食教育プロジェクトです。

http://www.foodcon.org/

品川先生の面白いところは、桜沢先生と同じく、「決して答えを教えない教育」を実践しているところ。

生徒に感じさせ、考えさせ、生徒同士でそれぞれの答えを共有することによって、その人の人生にとっての本当に「有用な概念」が形成される。

先生が教えて生徒が覚えるだけであれば、まったく役に立たない「架空の概念」としかなり得ない。それは、先生の自己満足でしかないと(笑)

私は最近、小学1年生位の子どもたちに会うと、必ず「1+1はなあに?」と聞くようにしています。大概の子どもたちは元気よく「2」と答えます。

私:ブ~

子供:なんでなんで?

私:答えは田んぼの「田」

子供:ずるいずるい!じゃあ「6」

私:なんでなんで?

子供:棒を全部足すと6本!

私:すごいすごい!じゃあ「3」。お父さん1人とお母さん1人で、子供ができて3人になるから(笑)

そうやってると、たくさんの「1+1」の答えが生まれてきます。

「1+1=2」はあくまで数学的な架空の概念です。実際人生においても、社会においても、自然や宇宙においても「1+1=2」にならないことがほとんどなのです。

「1+1」には無限の答えがある。この想像力を育むことが本当の教育(教え育む)なのかもしれません。

品川明先生の「フード・コンシャスネス」には、食を通じて想像力や感性を高める面白いワークがたくさんあります。

マクロビオティックの普及においてもぜひ参考にしていきたいです!

そもそも食事の問題って、とてもセンシティブなのです

昨日は池尻大橋のマクロビオティックレストラン「キュジーヌ・エ・サンテ・リマ」にて、へるしーどい会に出席。

最近、いろいろな所でマクロビオティックのお話をすることが多いのですが、一般的な食事の人もいれば、ベジタリアンやビーガンの人もいるし、ましてはマクロビオティックの中にも色々な考え方の人がいます。

そんな中で、「私は時には魚も肉も食べますが、15年マクロビオティックを実践してます」といったら、一般的な食事の人、ベジタリアン、マクロビアン、それぞれがそれぞれの視点で「???」と困惑すると思うのです。

もちろんマクロビオティックの陰陽の考え方や宇宙観もお話しますが、それも時に「宗教的」に捉えられることもあります。

そもそも食事の問題って、とてもセンシティブなのです。
こちらが良かれと思って話していても、それが相手には批判に聞こえることもあります。

そんな理由でここ数年は、あまり公の場で食事の話題を持ち込まないようにしていたのですが、どうも時代的にそうも言ってられない状況になって来ました。

なので今は、「なぜ批判的、威圧的、また宗教的に捉えられるのか?」というところから逃げずに取り組んで行きたいと思っている今日この頃なのです。

胡麻塩銀河創造

せっかく料理教室に通っているのだから、久しぶりに胡麻塩を手作り。

長年愛用している、いつかの誕生日に義理の母からもらったすり鉢とすりこぎで早起きしてぐるりぐるり。

それにしても胡麻塩作りは、つくづく神話的な行為ですよね。

右手というイザナギノミコトと左手というイザナミノミコトが、すりこぎというアメノヌボコを、すり鉢という海に突き刺し回転させる。

実際にすり鉢の中は、銀河のようなスパイラルを描き、陽性という塩の粒子に陰性というごまの油がまとわりつき、無数の星々を形成します。

まさに宇宙創造のからくり。
ごま豆腐づくりが禅の修行になるのも納得しますよね。

すり鉢とすりこぎ、もっと使ってあげなきゃね。

なぜ日本だけが旧暦を手放せたのか?

旧暦新年も開けて、いよいよ今年も「旧暦棚田ごよみ」がスタートしました。

先日2月9日に青山のGEOCで旧暦新年イベント「旧暦のリズムで棚田を味わう」を開催し、写真家の青柳健二さんに旧暦の興味深いお話と美しい棚田の写真をたくさん堪能させていただきました。

毎日新聞のコラムでも書かれていましたが、中国を筆頭に他のアジア諸国がいまだ旧暦を手放せない中、なぜ日本だけが旧暦を手放せたのか?

【毎日新聞2016年1月31日「余録」】
http://mainichi.jp/articles/20160131/ddm/001/070/103000c

それは日本がいち早く西洋近代化できた内在的原因とも言えるかもしれません。

東洋は元々基本的に「陰」のリズムをベースに、「陽」のリズムを補填する文化。

だから「陽陰」ではなく「陰陽」というのですが、「陽」のリズムをベースにしたグレゴリオ暦などが西洋文化の根底にあるのであれば、暦の変更とはいわば根源的な体内リズムの変換だったのかもしれません。

青柳さんは、新暦と旧暦を両方使うバイリンガルならぬ、バイカレダリストを提唱されていますが(笑)、グローバリズムを体現する新暦と、ローカリズムの象徴である旧暦の両方を使うことに新たな未来のライフスタイルがあるのかもしれないと思いました。

ちなみに日本はなぜ「陰」ベースの旧暦を手放せたかという命題は、マクロビオティック的に解釈すると、日本が東洋の極、つまり陰性の極に位置するからかもしれません。

「陰転じて陽」という法則から、陰性な精神文明の極だからこそ、今の陽性な物質文明に転じることができたとも言えるのかもしれません。

中庸こそが薬になる

2015年最後のマクロビオティックのお仕事で、アメリカのマクロビオティック指導者、エドワード・エスコー氏に2年ぶりに再会しました。

池尻大橋のマクロビオティックレストラン「キュイジーヌ・エ・サンテ・リマ」で食事をしながら、「中庸」を英語でどう表現するのかエドに聞いたところ、「middle」と答えてナプキンにメモをいただきました。

「Let Food Be Thy Medicine」

「食べ物があなたの薬である」というヒポクラテスの言葉を引用して、もともと薬の語源は「Mid」「Med」という中央や中道といった意味を持つことを教えてくれました。

瞑想(Meditation)も、「Med」がつくので、まさに陰にも陽にもぶれない中庸な精神状態こそが「瞑想」ということなのでしょうね。

よくマクロビオティックの世界では、「中庸」と「バランス」は違うと言われます。

「中庸」とは陰陽が調和することで、完全なる調和の世界である「無限の世界」のエネルギーと繋がることをいいます。

つまり陰にも陽にも偏らない中道というぶれない身体や精神状態であれば、「無限の世界」からあらゆる可能性にあふれたインスピレーションを得ることができるので、どんな病気でもどんな困難でも乗り越えられるアイデアに自然と導かれることになります。

単純にモノとモノの均衡である「バランス」とは、ちょっとニュアンスが違うのですね。

「中庸こそが薬になる」

クリスマスの日にエドからもらったナプキンは、素敵なクリスマスカードになりました。

天と地がひっくり返る時代

よく東洋医学の陰陽とマクロビオティックの陰陽は違う所があると言われます。

一番大きな違いは、天地の陰陽。

東洋医学では、天を陽性として地を陰性とします。
清い陽気が上昇し天をつくり、濁った陰気が下降して大地となるというのが古代からの中国の宇宙生成論なのです。

ところがマクロビオティックの創始者である桜沢如一は、この大前提をひっくり返してしまいます。
つまり、遠心力で上昇する気を陰、求心力で下降する気を陽として、無限に広がりのある天を陰性、そして一塊に固まっていく地球を陽としました。

これはどちらが正しいということより、桜沢は単純にものすごいスピードで運動する惑星を陽性とし、それを包み込む静かな空間である宇宙を陰性として見たわけなのですが、古代中国の思想では、静かで動かない大地を陰とし、常に昼夜が逆転し、太陽や月、そして惑星がダイナミックに動く天が陽性と見る見方の違いなのです。

古代の人々、特に古代中国の黄河文明などは北の畑作牧畜民の文化なので、天候と移動がとても大切でになります。つまり畑作を左右する旱魃は太陽が支配しますし、牧畜における移動は天の星々の動きを見ながら正しい方向へ進まなければなりません。

必然、天は地上の人々を支配する力とみなされ、それが中国の支配者としての帝の存在根拠となり、上帝、上天思想として、より天の陽性化、地の陰性化が強調されることになります。

なので、天地を陽陰と考える古代中国は、あくまで天動説的な陰陽論の展開であったのかもしれません。

それに対して、天地を陰陽と考えた桜沢は、地球という惑星がものすごいスピードで動きまわっているという科学的な根拠による地動説的な陰陽論に転換したとも言えます。

ただ最近、この天地の陰陽の転換は、単純に見方の違いというだけでない人類における根源的な転換があるような気がしてなりません。

天と地がひっくり返る。
なんとなく今の時代、天地の陰陽を考えることはとても大きな意義があるように思えてならない今日この頃なのです。